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誰でも大好き

DD。ハロプロ至上主義ですが、他も見ます。可愛い女の子はみんな正しい。

℃-ute新曲に思う

誰のために私は今ここに立ってるか…
幼き日ただ大好きで歌ってたのは覚えてる
夢を抱いてたから
愛を感じてたから
真夜中でもすごい朝でも 逃げることはなかった
振り返るだけで涙が止まらない
途中で投げ出したんじゃ無いって信じてる
今となって断言出来る事は
「よく頑張った」って言う事
家族に結構当たったりしたけれど
幸せだった瞬間がありすぎる

公開されている範囲の歌詞を見る限り、現在の℃-uteに対しての全面的な讃歌ではないように感じる。何かこの卒業に関して思うことがあるのだろうか。やりきった満足感よりも、立ち止まって自問自答せずにはいられない心細さが滲む。

「誰のために今ここに立ってるか」「逃げることはなかった」という表現には、他者の存在が色濃い。ライナーノーツでも「優等生ゆえの義務感でなんとか乗りこえてきてくれた」「誰かのためや、事務所のため、親のため、ファンのため、自分じゃない何かのために歌うのではなく」との言及があったように、自主性の薄い描かれ方になっている。

思えば「Summer Wind」の主人公も、「笑顔とため息 ねえどっちも私よ」「押し付け決めつけ 全部愛じゃないエゴだよ」と相手の干渉に辟易しつつも、助手席には座る。「大人なのよ!」でBerryz工房が「そんなの私に押し付けないで」とひとりでドライブに出かけるのと対象的である。
つんく♂さんが作る℃-uteの歌には、優等生であるがゆえに、自分を抑えて相手に従ってしまう人物像が投影されがちなのかもしれない。

また「途中で投げ出したんじゃ無い」という表現の強さも気にかかる。心の底からそう思えていたら、「途中で投げ出したんじゃ無いって信じてる」とわざわざ言及はしない。僅かだとしても迷いがあるからこその台詞なのでは。そしてその迷いを打ち消すように、「よく頑張った」んだからと自分に言い聞かせているような展開である。

 

トリプルA面の「Singing」以外の2曲、つんく♂作ではない「愛はまるで静電気」と「夢幻クライマックス」はもっとシンプルに℃-uteのイメージを打ち出してくる。この2曲は曲調こそ正反対であるものの、歌詞はかなり似通っている。

いつも褒めてくれた叱ってくれた
きっと楽になるし寂しくなるね
忘れないでいてね 憧れていてね
朽ちない面影

あんな 小さかった私を
見つけ出してくれてありがとう


愛はまるで静電気 時にはピリッと叱ったり
長くて短くて恋しくて 他にはいないのよ

ただ ただ あなただけ
明日も明後日もずっとずっと
忘れないでいてね お願い約束よ

Berryz工房のラスト2曲が「忘れないあの日の歌」「忘れないわ今日までの素敵なこの道を」と、「忘れない」の主語は自分だったのに対し、℃-uteは「忘れないでいてね 憧れていてね」「ずっとずっと忘れないでいてね お願い約束よ」で、「忘れない」の主語は相手である。
また、「叱ってくれた」「時にはピリッと叱ったり」と、叱るという行為は感謝すべきものとして描かれ、そこでも自分は主体でなく客体となっている。
ファンを喜ばせることを主眼に活動してきた℃-uteらしい曲とも言える。これだけの功績を残しておきながら「忘れないでいて」と縋る自己評価の低さも℃-uteらしいと感じた。

 

この2曲もつんく♂曲も、どちらも主体よりも客体たらんとする℃-uteを描いているけれど、そのことへの疑問の有無に違いがある。

アイドルなのだから、客体であることはひとつの正解である。自分を抑えて相手の満足のために尽くす。そうやって℃-uteはチーム℃-uteとの絆を育んできた。「愛はまるで静電気」と「夢幻クライマックス」はそれを讃え、その構図のまま幕を下ろそうとしている。でも、つんく♂さんとしては、自分のために歌ってほしい、主体的であってほしいという想いがあり、現状に対して歯がゆさを感じているのではないか。

 

誰にとっても自分のために生きるのが幸せということはなく、他人のために生きる方が喜びを感じられる人もいるだろう。そもそも、喜ばせたい、好かれたいというのも立派な主体性だとも言える。
ただ、万が一、あまりに幼い頃から芸能活動をしていた彼女たちが、そのせいでファンからの承認に依存してしまっているのだとしたら不幸なことだと思う。つんく♂さんもそこを心配しているのかもしれないと思った。